デュエルンのベトナム便り

“風の旅人” デュエルン・レーフェンスは突如、愛車 “轟カル号” とともにベトナムへと飛ぶことになった。 ここに、ジオポタ・ベトナム支部誕生か?

2015年6月18日木曜日

移転

 このブログは、『デュエルンのキエフ便り』などと統合し、新たに『デュエルンのXX国便り』として、以下に移転しました。

http://geopottering-x.blogspot.jp/

2009年3月7日土曜日

乾季の終わり?

きょうは昼から激しい落雷と雷雨が降りました。
昼から薄暗く、乾季の終了を告げるようです。

きのう例のカーチャから27歳の誕生日を記念した写真作品集が送られてきた。
彼女はプロのカメラマンをめざしているようです。
これまでも度々作品が送られてきて、特に風景写真に独特な世界が映し出されていて、才能を感じます。

きのう送られてきた写真の中から刺激的なものを除いて数枚ご披露します。
なお写真の中の"CHULKOVA"は彼女の結婚した後の姓です。

2009年3月6日金曜日

108

去年の夏、チャン・ツィー似の美貌の女性がいる近所の大衆食堂の話しを
報告しましたが、その後彼女が居なくなったので足が遠のいていました。

きょう久しぶりに夕食を食べに行ってみました。
見覚えのある顔はだれもいませんで、ひとの移動がけっこう激しいようです。

ベトナム女性は一般的に写真映りが良くない感じがしています。
写真の女性、地顔はけっこう魅力的でしたよ!
108はその店の名前です。

2009年2月28日土曜日

フエ田舎道ポタ

6週間ぶりにホーチミンでのんびりした週末を過ごしています。

8ヶ月近く愛車のメンテナンスをしていないし、その間三回も海岸を走っているのでチェーンやワイヤーに錆びが出てきました。
オーバーホールしたいけれども応急処置用の工具しかもって来ていないのでそれもできず、せめてチェーンぐらい洗いたい。
ここで灯油は手に入りそうにないけれども軽油ならばある。あとはパーツクリーナーを探してきて。

先週念願の田舎道ポタをやってきました。
ホーチミンから北へ1050キロのところにある古都フエです。
フエについてはジオポタリング海外編ベトナムで詳しく紹介されていますから、ここでは触れません。

一日目は街ポタ、二日目に郊外らあるミン・マンという廟まで田舎道ボタ。

ホーチミンから来て見るとここの人々の暮らしはさらに貧しいという感じが強く受けます。ベトナムも都市部と地方の経済格差が大きいようです。周りに居るベトナム人も地方出身者が多い、そういえば職場の秘書もフエ出身です。彼女は顔立ちがうりざね顔をしていますがフエでは似たような顔立ちのひとをたくさん見掛けました。

二日目、フォーン川の上流にあるミン・マン帝廟までポタリング。ホテルで聞くと道程20キロとのこと、夕方の飛行機までちょうど良い。

車もバイクもほとんど通らない田舎道をしばらく走る。周りは田畑、村が近づくと道の両側は熱帯樹林で覆われる。
そのうちこんもりした山に差し掛かり、山の上は墓地になってるのでした。アップダウンあり、ダートあり、急カーブあり、牛の群れに遭遇したりしてやっと茶店や土産品店が並んでいるにぎやかな道に出た。

一軒の茶店に入ってココナツでのどを癒していると、女将さんが出てきてここはトゥドゥック帝廟でぜひ見て来いと強く勧められた。市内の阮朝王宮よりも良かった。起伏のある松林の中に築かれた廟で、戦争による被害もまったく受けていないようでした。

先ほどの女将さんにここからミン・マン帝廟までの抜け道を教えてもらった。

車もバイクも通れない、自転車でしかいけないという説明の”バイクも”というところを軽く聞き流していた。走り出してはじめてその意味がわかった(笑)
散々苦労してミン・マン帝廟にたどりついたら、最も重要な部分が修復工事中で入れなかった。
それにしても暑かった。過去これほど暑いところを自転車で走った記憶が無い。

写真説明
01 王宮のすぐ近くの川で洗濯をするおばさん(王宮は旧市街にあり、周りは貧しい)
02 水上生活者の群れ
03 ベトナムらしい日常り風景
04 ミン・マン帝廟の近くで出会った親子、このオッサンあと三人の子供がいるそうです。戦後の日本と同じ
05 トゥドゥック帝廟で皇帝の衣裳を着て写真を撮ってくれるサービスがあり、この奥さんは終始恥ずかしがっていた。
フエは外国人観光客も多いがそれ以上にローカルの観光客も多い。

2009年2月26日木曜日

ダーウィン5

アボリジニ(先住民族)について:
勉強不足でアボリジニについて何の予備知識もないが、開拓時代は動物のように狩りの対象にされていたこともあったらしい。
現代のオーストラリア社会でどのような位置づけなのか分らない。

最初に見かけたときは驚いた、アフリカ系黒人とはまったく違う、精悍さや容姿の美しさがなく、こう言っては失礼ながら、原始人を想わせる。
街の至る所で会うことができる。その中の一人に2ドル恵んでくれと、施しを要求された。もちろんあげなかった、彼らは政府から手厚い保護を受けているはずだから。

シーシェパードについて:
オーストラリアというと最初にイメージに浮ぶのがシーシェパード(日本の調査捕鯨に反対して過激な抗議行動を繰り返しているグループ)です。
いつだったかホーチミンの空港で搭乗待ちの間に大型画面の映像を見ていたら、たまたまオーストラリア観光の映画をやっていて、シドニー湾の中でたくさんに鯨が泳いでいて、船のうえから、橋の上から、オペラハウスの前から大勢のシドニーの人々がホエールウオッチングを楽しんでいる光景が映し出されていた。
我々日本人が多摩川や荒川に入り込んだアザラシのタマちゃんを可愛がるように!

子供のころ貧しく、ステーキといえば鯨肉でした。おふくろは出来るだけ美味しく食べられるように味付けにいろいろ努力していたようですが、それでも不味いものは不味い。
若い頃、飯やで最も安いおかずは鯨のベーコンでした。私にとって鯨の記憶はつねに貧しさが付きまとう。

調査捕鯨で捕獲した鯨は何処へ流れているのか不透明な部分もあるし、捕獲しなくとも調査は出来そうに思う。
将来、食料危機がきて再び鯨を食べなければならない時代のこないことを祈るのみですが、もしも食料危機が来たらそのときに捕鯨を再開すればよい。
ダーウィンの海を眺めながらそんなことを考えていた。

写真説明
1 マリーナ近くの戸建て住宅、徹底して贅沢!
2 ホテルの近所にある小さな湖、人々がカヌーやバーベキューで楽しんでいた。この湖の200mぐらい手前は、もう海岸線です。
3 街の中心部のアパート、なかなか快適そうです。
4 ボルネオで有名なバオバブの樹
5 ダーウィンの海に沈む夕日です。

2009年2月24日火曜日

ダーウィン4

ダーウィンはいま雨季なので猛烈に蒸します。
ホーチミンのような燃えるような暑さはないけれども、とにかく湿度が高い。つねに汗が滴り落ちてくる。

1日目の午後に1時間ほどシャワーのようなスコールが来た。2日目はときどきにわか雨に降られた。
外から、内からびしょびしょ状態!

朝早くからロードはたくさん走っています。
小径車はまったく見なかった。BD−1の注目度もいまいち関心が薄い。

自転車道路は曲がりくねり、適度にアップダウンあり、速度は20キロに制限されています。だからロードは車道を走っている。

イーストポイント(ダーウィンの西にあるのになぜイーストなのか不明、軍の呼び名かも知れない)というところにある軍の施設で何かのイベントをやっていた。アーミー・バンド・ターウィンという軍人さんのバンドが演奏をやっていて、二人の女性兵士がABBAの曲をメドレーで歌っていた。なかなか上手だったけれども、迷彩色の軍服では色気がない。

海岸は砂浜と岩が剥きだしのところがある。どちらも遠浅です。
二日間波はほとんどなかった。ニャチャンに比べると海の色はさらに白っぽい。

ダーウィン3

空港から乗ったタクシーはなかなか優れもので、車椅子の客が車椅子に乗ったままリヤゲートから乗り込める工夫がしてあり、自転車をその部分に乗せるとぴったりです。

それにしても道が綺麗、シンガポール同様に修景も素晴しいが、道路の造りも立派、舗装の凹凸がまったく無い。

予約したホテルはカレン・ベイというヨットとプレジャーボートのマリーナの一角にあり、正確に言うとホテルではなく、長期滞在型のホリディアパートです。
チェックイン時間を聞くと午後2時だというので、取りあえず自転車を組立てることにした。
通り掛かりの人が「ここで自転車屋さん開業かね!」とジョークを飛ばしていく。

そうしているうち、10時には部屋の用意ができるとのことなので、ウォーミングアップを兼ねてマリーナ探索に、とにかく人がいない!
街の津々浦々まで人とバイクがひしめき合っているベトナムから来ると異次元の世界のようです。
一軒のカフェテラスを見つけて朝食に在りついた。

人口11万人にしては、街が広く、道路網も充実している。田舎の雰囲気はまったく無く、大都市の一角を切り取ったような印象です。
人口密度が極めて薄いにもかかわらず、街の隅々まで美しく保つためには相当のエネルギーと費用が必要で、その経済力はどこから来るのでしょう?

ダーウィンは陸と海とが複雑に入り組んでいるので、どこに行っても海に面しているような感じをうけます。
海岸線に面して自転車道路が作られていて、そうでないところも自転車レーンがあります。

最も車も少ないからどこでも気持ち良く走ることができまが。

オーストラリア人の印象
1.極めて親切:道i迷って地図を広げていると必ず駆け寄って来て教えてくれる。
2.道で出会うと挨拶をする。
3.ベトナム人は口を開けば「この自転車はいくらした」であり、オーストラリア人は「どこから来た」が最初の質問、私はベトナムから来たと答えている。
ご存知のようにダーウィンは1942年2月19日に日本軍の艦載機により猛爆撃を受けたところで、真珠湾攻撃よりも大規模で激しかったようです。
その記念日の直前だったので、日本人と言いにくかった雰囲気がありました。
4.刺青をしている人がやたらと多い、女性も足首などに小さいのをしているひとがけっこう居た。
5.一般的に白人は日本人以上に禿げ易い。かれらは薄くなると潔くスキンヘッドしている。これは参考になった。

食べ物のこと
オーストラリアはイギリスからの移住者で出来た国だから当然食べ物は美味しいはずがない。
ホーチミンのステーキハウスで食べたオーストラリア牛がすこぶる美味しかったので、ダーウィンでも食べてみた。肉は柔らかく、マッシュルームのステーキソースも素晴しく美味しく、マッシュドポテトも美味しかった。しかし肝心の肉の味はいまいちであった。

写真説明
01  泊ったホテル、左端がそのホテルです。地下2階、地上8階私の部屋は6階でした。
地下階は駐車場です。こんなに国土が広い国なのに駐車場を全て地下に設けて建物のまわりは植栽にするのは発想がリッチです。
ゆるいカーブを画いた向いあった廊下に面して部屋があり、あいだは最上階に屋根が架かった吹き抜け空間になっいて、1階はホールになっている。風が通り抜けて気持が良い。1階にはプールも備わっていた。
部屋は2部屋続き部屋にできる間取りで、ベランダは隣室と共用、アイロンやジューサー食器などがそなわっているがキッチンがなかった。おそらく隣室側にあるのかも知れない。
ベランダからは海が見える。
02    マリーナの風景
03  マリーナのカフェテラス、船を眺めながら朝食をとった。
04  空襲の記憶を留めるための記念碑

自己紹介